クリスチャンって何?

「クリスチャン」と名乗る人が全て聖書的なクリスチャンではありません。この記事では、聖書に基準でどういう人が「クリスチャン」なのかと、クリスチャンになる方法を紹介します。

言葉の由来

聖書の中には「クリスチャン」という言葉はありませんが、「クリスチャン」という言葉のもとである「キリスト者」という言葉が出てきます。

弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。(使徒の働き11:26)

(英語の聖書には上記の箇所でChristian(クリスチャン)という言葉を使っています)

元々「クリスチャン」はナザレのイエスを信じてイエスの教えを守る人たちを侮辱するために使われた言葉でした。

イエスの弟子たちを侮辱するために「小さなキリスト」と人々は呼んだのです。現代的な表現に変えてみたら「ミニキリ」(ミニチュア・キリスト)と言えるでしょう。

本当のクリスチャンはイエスの弟子なので、イエスの弟子はどういう人なのかを見てみましょう。

クリスチャンになれない人

聖書の中には、イエス・キリストがクリスチャンになれない人たちについて語った箇所があります。イエスの人生と教えが残されている「ルカの福音書」という箇所に出てきます:

25 さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。26「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。

ルカの福音書14:25ー26

イエス・キリストが活動していたとき、多くの人が話を聞きに来ました。奇跡を目の当たりにして驚いていました。日に日に話を聞きにくる人たちが多くなっていきました。

普通の人であれば、たくさんの人が話を聞きに来てくれることは嬉しいことですが、イエスは自分の弟子となるように呼びかけました。

ルカ14:26で様々な人たちを憎むようにイエスが言われました。

聖書は至る所ではっきりと親を敬うように教えているので、実際に憎むように教えているわけではありません(例:出エジプト記20:12、マルコ7:9―14)。ただ、イエスとの関係に比べたら、周りの人との関係は憎しみのように見えてしまうという意味で誇張して言っています。

また、身の回りの人だけではなく「自分の命まで」憎む必要があると教えました。

人間は基本的に自分のことを最優先に考えてしまいます。自分にとって都合の良いことが良いことで逆に都合の悪いことはよくないと考えます。

しかし、イエスの弟子になるために、まずイエス中心にならなければいけないと教えたのです。

クリスチャンは十字架を追う

同じ箇所の続きで、イエスはこう教えました。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。

ルカの福音書14:27

イエスによると、弟子になる条件の一つが「十字架を負って」イエスについていくことです。

十字架の意味

今では十字架はネックレスやピアスのアクセサリーなどがあります。一般的にはキリスト教のシンボルとして知られていると言えるかもしれません。しかし、この当時は十字架に違う意味がありました。

1世紀のローマでは、ローマ帝国は死刑のための刑具(死刑に使う道具)の一つでした。

特に見せしめのために、犯罪者を十字架につけていたとされています。人が通る道の横で人を十字架につけることによって、「ローマに逆らうものはこうなる」ということを植民地の人々に伝えていたのです。

死刑が確定して、十字架にかけられることが決まったら、罪人は自分がかけられる十字架を担いでローマは十字架で死刑にされる人に十字架を担いで、十字架につけられる場所までその十字架を持っていきました。

街中を通り、自分か十字架につけられる場所まで、十字架を負うことによって、誰もが「あの人はこれから死ぬ罪人だ」と分かりました。十字架を追うことは誰にも隠せない、公な死に方への道のりでした。

イエスの弟子になるためには、似たようなことをしなければなりません。

「木造の十字架を作ってこい」と言っているわけではありません。

しかし、自分が罪人であることや、自分に対して死ぬことが必須だとイエスは教えたのです。

簡単にいうと、自分のプライドを捨て、罪人であることを認めて、イエスを信じる必要があるということです。

クリスチャンになるコスト

イエスは考えずに弟子になるように呼びかけませんでした。むしろしっかりと考えてから弟子になるように教えました。

同じ箇所の続きにこう書いてあります:

28 あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。 29     計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、       30     『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。31     また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうか、まず座ってよく考えないでしょうか。      32     もしできないと思えば、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和の条件を尋ねるでしょう。

ルカの福音書14:28―32

イエスは引き続き弟子になるための条件について教えています。ここでは、クリスチャン(弟子)になるためのコストについてしっかりと考えるように教えているんです。

そこで、このように例えました。建築にかかる費用を計算しないまま、ビルを建て始めた人がいました。始めたのは良いけど、途中でお金がなくなって、建築が終わらなかった結果、笑い物にされてしまいました。「立てる前に、しっかりとコスト計算をするべきでしたよね」とイエスは言っているんです。弟子になる前にもしっかりコスト計算をしなさいとイエスいます。

また、弟子となるためのコスト計算を戦争で出ていく王様と比較しました。的に兵士の数が二倍いたとしたら、戦いを仕掛ける前に勝てるかどうか考えるはずです。特に古代の戦争ではドローンやミサイルがありませんでした。そのため兵士の数が非常に大事でした。無駄な戦争をしないで、平和的な条件を相手の国から求めるのが常識的な考えかたでした。

それと同じように、キリスト者(クリスチャン)になるためのコストについてよく考えるようにイエスは言っています。

では、弟子になるコストはどれくらいなのでしょうか?

イエスはこう言いました:

そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。

ルカ14:33

イエスに従うこと(弟子になること)は自分の全てがかかっているということです。イエスとの関係が家族の関係やお金よりも上であるということです。

いつでも自分お金を全て手放しても良い体制ができているということではないでしょうか?

なぜなら、イエスの弟子になるためにはイエスに頼って、お金に頼るのをやめなければならないからです。

クリスチャンになる方法

イエスの弟子になるためにはイエスが教えた「福音」を信じる必要があります。

罪を悔い改めて、イエスが身代わりとなって十字架で死んで三日後に行き帰り、イエス・キリストだけを救いの根拠とすれば救われてクリスチャンになることができます。

【リンク:聖書が教える「罪」とは】

【リンク:救いってなに?】

洗礼(バプテスマ)は必要?

クリスチャンになるためには、洗礼(バプテスマ)を受ける必要はありません。

新約聖書の中にこう書かれている箇所があります:

キリストが私を遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を、ことばの知恵によらずに宣べ伝えるためでした。これはキリストの十字架が空しくならないようにするためです。

1コリント1:17(新約聖書)

ここでパウロバプテスマと救われるために福音は別々だとはっきり行っています。

しかし、イエスを信じた後に信仰を公にする行為です。そのため、クリスチャンでありながら、バプテスマを受けたくないと言われる人は到底ありえないです。

【リンク:バプテスマ(洗礼)って何?】

バプテスマが人をクリスチャンにするのではなく、クリスチャンだからバプテスマを受けます。

クリスチャンになる結果

ここまではクリスチャンになれない人や、クリスチャンになる方法を紹介しました。次にクリスチャンになる結果をご紹介します。

が赦される

聖書によると、悔い改めてイエスが十字架で死なれた3日後に肉体的に生き返ったことを信じて、イエス・キリストだけを救いの根拠としてイエスを信じると、罪は全て赦されます。

25        神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。 26  すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。

ローマ3:25―26

永遠の命

聖書によるとクリスチャンには「永遠の命」が与えられます

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ヨハネの福音書3:16

クリスチャン(弟子)仲間が増える

イエスを信じたら「あとは頑張ってね」と神様が言われるわけではありません。クリスチャンとしての生活は、弟子らが支え合っていくものです。簡単にいうと、この弟子のコミュニティーを「教会」といいます。

【リンク:聖書が教える「教会」とは】

神様が一緒にいてくれる

今までは1人で歩んでいた人生でしたが、イエスを信じることによって神様が共にいてくださると約束してくださいます。

わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます

マタイの福音書28:20

金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。

ヘブル人への手紙13:5

【リンク:神様ってどういう方?】

迫害

イエスの弟子になることは、迫害を受けることにもなります。イエスはこのコストを考えて弟子となるように言われました。

キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

2テモテ3:12

弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語った。

使徒の働き14:22

なぜクリスチャンが迫害を受けるのでしょうか?その理由は、キリストの主張や教えが嫌いな人がキリストに従う人を迫害します。聖書はクリスチャンになると迫害を受けると保証しています。

クリスチャンになりたい方や、イエス・キリストについてもっと知りたい方はぜひお問い合わせください

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