結婚式の新郎新婦の様子

ノンクリスチャンとの結婚 – 聖書は何を教えている?

信者のお祈り

ノンクリスチャンとの結婚を検討しているとあるクリスチャンはこう祈りました:

「神様、もし、この人がみこころじゃなければ、別れるようにしてください」

もしかしたら、あなたも同じような祈りをしたことがあるかもしれません。素晴らしい祈りに聞こえますね。

神様は聖書の中でクリスチャンがどのように歩めば良いかを教えてくださいます。そのため、祈りに加えて、聖書がなんと教えているかを確かめる必要があります。

お相手がクリスチャンではない場合、結婚しても大丈夫なのでしょうか?

聖書がノンクリスチャンとの結婚についてなんと教えているのかを一緒に見ていきましょう。


僕はクリスチャンなんだけど、ノンクリスチャンと結婚しちゃダメって本当ですか?

ネットを検索すれば、様々な意見が出てきますね。聖書がなんと教えているかを紹介します。

クリスチャンじゃない相手と結婚することは若いクリスチャンの誰もが一度考えることかもしれません。ただの硬い言い伝えなのでしょうか?

ノンクリスチャンとの結婚を面白がってYouTubeのチャンネルを作っている人がいるこの時代ですが、どのような進路を歩めば良いかを教えてくれるのは聖書です。

ネットを検索してみると、聖書の教えが簡単にまとめてあるサイトが出てきます。感謝ですね。ただ、反論の余地があるように感じやすい部分もあるかもしれません。

この記事では、信者と未信者(ノンクリスチャン)との結婚について聖書がなんと教えているかを徹底的に見ていきます。

【リンク:クリスチャンって何?】

つり合わない「くびき」(2コリント6:14)

聖書に「つり合わないくびき」みたいなことが書いてあるって本当?

新約聖書のコリント人への手紙2章14節ですね

ノンクリスチャンとの結婚はいけないという教えで一般的に掲げられる箇所が新約聖書の2コリント6:14かもしれません。

不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。

2コリント人への手紙6:14

所持きにいうと、この箇所でパウロさんは結婚のテーマを直接ピックアップしているわけではありません。周りの箇所を読んでいくと「結婚」という言葉が一度も出てこないので、違うのではと思う人もいるかもしれません。

しかし、2次的な適用では、この箇所を用いることができます。この箇所はハーベストタイムミニストリーの中川さんが上手に説明されている(リンク↗︎)ので、そちらの記事の内容をここで重ねて書きません。

そもそも「くびき」ってなんですか?

家畜(かちく)の首につけるやつです

くびきを使って牛を2頭で耕す男性

面白いことに、旧約聖書の中には違う動物を同じくびきをつけることは禁止されていました。説明が少し長くなるので、後ほど旧約聖書に出てくるこのくびきの教えについても少し触れます。

ノンクリスチャンとの結婚:聖書に出てくる例(その1)

未信者と結婚している人についてなんと書いてありますか?

この理論はよく聞きますが、聖書の答えを見てみましょう

聖書の中には片方だけがクリスチャンの夫婦についていろんなことが書いてあります。例えば、1ペテロの3章にこう書いてあります:

1 同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。たとえ、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって神のものとされるためです。2 夫は、あなたがたの、神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。

1 ペテロ 3:1-2

「結婚したらクリスチャンになるかも」と思われる人は、この箇所をみてホッとするかもしれません。

しかし、この箇所はノンクリスチャンと結婚することを許す箇所ではありません

すでに夫婦になっている2人のうち、1人がクリスチャンになった場合のことを言っています。すでに結婚している夫婦の片方だけがクリスチャンになった場合はどうしたら良いかが書いてあるだけなのです。

未信者との交際や結婚はOKという意味では無いです

でも他にもノンクリスチャンとの結婚について書いてある箇所はあるでしょ?

いいことに気づきましたね。その箇所を見てみましょう。

ノンクリスチャンとの結婚:聖書に出てくる例(その2)

確かに、新約聖書の中にクリスチャンとノンクリスチャンの結婚について書いたあることがあります。1コリント人への手紙の7章は代表的な箇所だと言えるかもしれません。

1コリントの7章でパウロは独身結婚のことについて詳しく書いていきます。独身の部分に触れることはこの記事の範囲の外ですが、1コリント7章7節と25〜28節に独身のことについて書いてあります。

片方がクリスチャンではない夫婦の場合、パウロはこう書きました:

12 そのほかの人々に言います。これを言うのは主ではなく私です。信者である夫に信者でない妻がいて、その妻が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。13 また、女の人に信者でない夫がいて、その夫が一緒にいることを承知している場合は、離婚してはいけません。14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖なるものとされており、また、信者でない妻も信者である夫によって聖なるものとされているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れていることになりますが、実際には聖なるものです。15 しかし、信者でないほうの者が離れて行くなら、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとして、あなたがたを召されたのです。

コリント人への手紙 第1 7章12〜15節

ほら!信者でない妻って書いてある!

ここは結婚する条件じゃなくて離婚する条件ですよ!

実は、この箇所でパウロは「結婚しても良い条件」について教えているのではなく、「離婚しても良い条件」について書いています。

パウロらが1世紀の時に街から街へと旅をして福音を伝えました。福音を聞いた人の中には聞いて信じた人もいれば、信じない人もいました。今と同じですね。

すでに結婚で、片方だけがイエスを信じて、もう片方が信じていない時にどうすれば良いのかについて書いていました。

結婚した後にどちらかがクリスチャンになったらどうすれば良いかを教えているんです。

同じ1コリント7章の後半では、次のように書かれています:

39 妻は、夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、夫が死んだら、自分が願う人と結婚する自由があります。ただし、主にある結婚に限ります。40 しかし、そのままにしていられるなら、そのほうがもっと幸いです。これは私の意見ですが、私も神の御霊をいただいていると思います。

コリント人への手紙 第1 7章39〜40節

この「主にある結婚」というのは「クリスチャン同士の結婚」という意味です。

もちろん39〜40節は先ほどの続きで、ここで聖書は夫を亡くした女性の再婚について教えています。

パウロは夫を亡くしたら、独身でいるという選択肢もあると教えたのです。しかし、再婚もアリだと言いつつ、再婚は「主にある結婚」のみ認められると教えています。

このため、クリスチャンの結婚も再婚も「クリスチャンの人だけ」ということになります。

「もしクリスチャンがノンクリスチャンと結婚しても良い」ということであれば、1コリント7:39〜40を次のように解釈しなければなりません:

  • 1回目の結婚はクリスチャンじゃなくてもよくて
  • 相手が嫌なら後から離婚してもよし
  • 再婚時する時にクリスチャンではいけない

しかし、聖書は軽く離婚など進めません。神様の計画では結婚は一生ものです。2回目がクリスチャンでなければいけないのに、1回目はクリスチャンじゃなくても良いという考え方は到底あり得ないことなです。

1回目はノンクリでも良くて、2回目はクリスチャン限定はあり得ない!

旧約聖書の教え

異国の民との結婚

ここまでは新約聖書の箇所をピックアップしました。しかし、似た教えが旧約聖書にもありました。

神様はイスラエルの人々にこのように命じられていました:

また、彼らと姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。というのは、彼らはあなたの息子を私から引き離し、ほかの神々に仕えさせ、こうして主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がって、あなたをただちに根絶やしにするからである。

申命記7:3ー4

税理士法人レガシーによると姻戚関係はこういう意味です:
『結婚すると法律上、配偶者との婚姻関係とともに、配偶者の両親や祖父母、兄弟姉妹、従兄弟姉妹、叔父叔母などの血族との姻戚関係が結ばれます。姻族とは、結婚によってつながった親戚関係のことをいいます。俗にいう「義理の父母」「義理の兄弟姉妹」などがこれにあたります。』(2023年3月29日にアクセス↗︎

申命記7:1には他国の様々な人たちが挙げられていました:

あなたが入って行って所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れるとき、主は、あなたよりも数多くまた強い七つの異邦の民、すなわち、ヒッタイト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人をあなたの前から追い払われる。

申命記7:1

この異国の人たちと結婚をしてはいけないと言われたのです。一時期人種差別がひどかったアメリカでは、このような箇所を使って「国際結婚は禁止」や「白人と黒人の結婚は禁止」だという神学者がいました。しかし、申命記7章は国際結婚に反対する箇所ではありません。

神様はここで違う人種の人のことを言っている訳ではなく、「聖書の神様に従わない人」のことを言っています。結婚したら「

その理由は、他の神々に仕えないためでした。「彼らはあなたの息子を私から引き離し、ほかの神々に仕えさせ、こうして主の怒りがあなたがたに向かって」しまうと言われたのです。

旧約聖書には、もともとユダヤ人ではない人がイスラエルの人と結婚することがあります。

例えば、旧約聖書のルツ記の主人公のルツ。ルツはモアブ人(ルツ記1:4)でしたが、自分の神を捨てて、聖書の神様にようになりました:

ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

ルツ記1:16

自分の国を離れて義理の母についていったのです。

カナン人だった遊女のラハブも、イエスの系図に登場します(マタイ1:5)。ラハブはイスラエルのスパイを保護し、捕まらないように助けました。ラハブはエリコという町に住んでいましたが、イスラエルのスパイがやってきた時に、こう言われました:

あなたがたの神、主は、上は天において、下は地において、神であられるからです。

ヨシュア記2:11

ルツもラハブも異国の女性でしたが、聖書の神様を受け入れたことが分かります。だから「国際結婚がダメ」という訳ではなく、「異国の神に使える人との結婚はダメ」ということが分かります。

なぜこのようなことを言われたのでしょうか?次のように書いてあります:

あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。

申命記7:6

「聖なる」ということは「区別された」という意味です(守谷聖書教会のメッセージより↗︎

神様は周りの国とは違う民を呼び出したのです。

旧約聖書のくびき

最初に見た「つり合わないくびき」の言葉のルーツは、旧約聖書にあります。

9 ぶどう畑に二種類の種を蒔いてはならない。あなたが蒔いた種と、ぶどう畑の収穫全体とが、聖なるものとして取り分けられてしまうことのないように。10 牛とろばとを組にして耕してはならない。11 羊毛と亜麻糸を混ぜて織った衣服を着てはならない。

申命記20:9〜11

旧約聖書の時代では服の素材も、畑に植える種も、耕す方法についても規定がありました。牛とロバを組にするためには、同じくびきを負わせる必要がありました。

なぜダメだったかと言うと、イスラエルの人々は「聖なる」民として生きるはずだったからです。

もちろん今は新約聖書の時代です。クリスチャンとイスラエルという民は別です。しかし、神様は今の時代においてキリストを信じる人々を全て自分の民とされています。そして、神様は自分の民が「聖なる」民として生きるように命じられているのです。

15 むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。 16 「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。

1ペテロ1:15ー16

牧師が語る「ノンクリスチャンとの結婚」

牧師としてたくさんのカップルを見てきました。クリスチャンとノンクリスチャンは根本的な価値観が違うので、結婚するとほとんどのクリスチャンは霊的に冷めます

ネットを検索すれば、「お互いの気持ちを理解し合えば大丈夫」のようなことを書いているブログはあります。しかし、そのようなブログは聖書の一句だけを引用して、あとは個人的な意見を述べているだけです。

人は結婚してから変わります。人としての成長や、クリスチャンとして成長であれば良いことです。しかし、多くの場合、ノンクリスチャンのパートナーが親からのプレッシャーを感じて、クリスチャンが賛成できないことをしたがります。

パートナーが子供を連れてお参りしたと言って、断ったら家庭の平和が崩壊するかもしれません。そこでクリスチャンの人は平和を保つか、偶像礼拝に参加させるかという決断が迫られます。義理の親が亡くなった時にお坊さんを呼んで葬式をしたいと言われた時にどうしますか?お寺にお墓があるからお金がいると言われたらどうするか決めなければなりません。

聖書は父たちに子供を「主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ6:4)と命じています。妻が、「日本の伝統も教えたい」(「伝統」と書いて仏教と神道と読む)と言い出したらどうしますか?

クリスチャンがノンクリスチャンと結婚して冷めてしまうのは、お互いが進みたい方向が真逆だからです。

お金の使い方(葬式、献金など)、祈りと断食、子育ても何も基準も目標も違います。

結婚することで、「自分は譲れる」ということを伝えていることになります。そして、神様に喜ばれない生活を日々ノンクリスチャンのパートナーに進められてしまいます。

聖書はクリスチャンとノンクリスチャンは結婚してはいけないとはっきり教えています。

アクションプラン

では、クリスチャンはどうすれば良いでしょうか?

独身のクリスチャン

まず、クリスチャンと交際しないことが一番です。ノンクリスチャンの友達はダメという意味ではありません。

基本的には交際は結婚する一歩前の段階ですので、聖書が認めない結婚へ向かってうゆくのはよくありません。

「交際しているうちにクリスチャンになって、それから結婚したい」とおっしゃる人も中にはいます。しかし、相手が本当にイエスを信じたのか、結婚の可能性が無くならないように口先だけで言っているのかが分かりません。気持ちが絡んでいますから、本当のことがわからなくなってしまいます。もしかしたら、相手を偽信仰告白させて、将来もっと救われにくい状態にしてしまう恐れだってあります。交際するのはやめて聖書の教えに従いましょう。

すでに交際しているなら、別れるべきです。これにはプライドを捨てる必要があります。クリスチャンの内側で聖霊が働いているため、「やめなさい」という働きかけが内側からあるはずです。その感覚を塞いで別の意見を探し求めてしまうのが人間です。しかし、それは間違っています。第一に神様の言われることに従うかを決めなければなりません。そして、感情に囚われて交際し出したとしても、まだ手遅れではありません。間違えたことを認めて、別れるべきです。

もしノンクリスチャンと交際し始めたのであれば、「なぜ自分の心はイエス以外のものに囚われてしまったのか」を問う必要があります。どこでキリストを求めなくなってしまったのかを探るべきです。交際しないだけではなく、キリストを求めるべきです。

ノンクリスチャンと結婚した信者

ノンクリスチャンと結婚してはいけないと分かっていて結婚したのであれば、まず悔い改めるべきです。神様の教えとキリストの魅力を忘れてしまった頑なな心を悔い改めるべきです。また、結婚を機に教会から離れてしまったなら、キリストから離れてしまったことも悔い改めるべきです。

神様はあわれみ深い神様です。自分のしたことは神様の教えに反することをまず真摯に受け止めて、神様が示している道から離れたことを認めましょう。そしてこれからは自分のために長い道のりがあることを覚えて、これからどのように神様のために生きるのか、また今の結婚生活において、どのようにできるだけ聖書に基づく生き方していくのかを考えるべきです。

これはあくまでもすでにクリスチャンの方が、ノンクリスチャンと結婚したケースであって、結婚した後にクリスチャンになった方のことを言っていません。(その場合は上記の「ノンクリスチャンとの結婚:聖書に出てくる例(その1)」をご確認ください)。

「許してもらえるから、結婚しちゃってもいいよ」と思ってしまう人もいるかもしれませんが、これは神様の恵をないがしろにすることです。聖書にもこう書かれています:

1 それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。2 決してそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪のうちに生きていられるでしょうか。

ローマ人への手紙 5:1−2

最後に:キリスト中心の人生へ

交際も結婚も、まずキリストを愛し、キリストに従うようにしましょう。

もしわたしを愛しているなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

ー イエス・キリスト(ヨハネ14:15)

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