「罪ってなんですか?

「あなたは罪人です」と言われたら、心の中でどんな返事が湧いてきますか?

「刑務所に入れられたことはない」という人や、「自分は真面目に生きている方だ」と思う人がいるでしょう。世の中には凶悪犯から真面目な人まで人それぞれです。

個人的な感想もたくさんあるかもしれません。

この記事では、聖書が教えている「罪」をみていきます。そして、聖書の言葉によると、誰が罪人で、罪人であることが何を意味するのかをみていきます。

【リンク:そもそも聖書ってどういう本?】

聖書が罪と呼ぶもの

「罪」というのは法律を破り、起訴され、有罪とみなされ、刑務所に入れられたことを指すのが一般的な考えかもしれません。

しかし、人が作る法律は時代とともに変わります。その時代において、違法なことが大きく変わります。奴隷が認められている国もあれば、漫画の海賊版サイトの運営で捕まるところもあります。10年前は大丈夫だったことも、法律の改正で今は犯罪なることもあります。人が作る法律にはその時代の差別なども見えてきます。

実は聖書の中に神様の法律が書いてあります(聖書の中では「律法」と呼ばれています)。そして、この法律を通して神様のスタンダードがわかってきます。とても厳しいものです。

殺してはならない。

出エジプト記20:13(聖書)

姦淫してはならない。
(不倫などのことです)

出エジプト記20:14

しかし、私たちがとてもひどいと考えることだけが神様が罪に定めるものではありません。

9     あなたがたは知らないのですか。正しくない者は神の国を相続できません。思い違いをしてはいけません。淫らな行いをする者、偶像を拝む者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、 10     盗む者、貪欲な者、酒におぼれる者、そしる者、奪い取る者はみな、神の国を相続することができません

1コリント6:9―10(聖書)

聖書の言葉に出てくる神様のスタンダードはとても厳しいです。私たち基本的に身の回りの人と比べ合って、自分の良さや悪さを評価します。ですが、神様のスタンダードと自分の申請を照らし合わせると、いかに不完全なのかが見えてきます。

「真面目に生きてきた方だと思う」、「僕はそんなに悪くはない」、「俺は人を殺したことはない」。

いろいろな方法で自分を他の人と比べてしまいます。しかし、これは本当の正しさを私たちに示してくれるものではなく、勝手に想像している自分の正しさにすぎません。

本当の完璧さを知りたければ、自分の行いや考え方を聖書の中に出てくる神様の法律と照らし合わせる必要があります。神の法律を破っていれば、罪が問われます。

聖書が求める完璧さにあなたは到達できますか?

全ての人が罪人

人は完璧なさばきを下すことはできません。D N A鑑定の結果、20年の刑を過ごした後に無実が判明して釈放されるような話があります。

しかし、神様は正しくさばく方です。

そして、神様の法律を目方にして私たちの行いが図られると、私たちがどれほど不完全なものかが見えてきます。

【リンク:神様ってどんな人?】

私たちに自分の罪が見えるように、神様はこの法律を与えてくれました。

律法を通して生じるのは罪の意識です。

ローマ人への手紙3:20(聖書)

国の法律を破って捕まると、さばかれて罰を受けます。同じように、神様の法律を破るとさばかれて刑罰を受けます。神様は正しくさばく方ですので、全ての罪人を正しくさばき、刑罰を下します。

すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず

ローマ人への手紙3:23(聖書)

神様は聖書の中で「すべての人」が罪を犯したと私たちに教えています。罪はどんな結果を招くのでしょうか?

結果その1:関係が崩れる

悪いことをされたら、相手との関係は崩れますよね。

例えば、親友が2週間でお金が10倍になる投資を見つけたと言われたとしましょう。試しに1万円を渡したら、数週間後にその友達がと連絡が取れなくなりました。ちょっと調べてみたら、実は詐欺だったことが判明。その人の仕業によって関係が崩れます。

罪があると、身の回りの人との関係が崩れます。人をだませば、目を合わせることができなくなります。不倫をしたら、パートナーのしんらいを裏切って関係が崩れます。これらは罪の結果です。

実は、聖書が教えている罪は神様に対して行われていることです。そのため、罪があると神様と正しい関係を持つことができません。そのため、聖書にこのような言葉が出てきます:

18    これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。21     神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。

2コリント5:18、21(聖書)

神様は聖書の中で、私たちに和解を呼びかけています。なぜなら、罪で関係が崩れているからです。

(「義」という言葉が出てきましが、これは正義の「義」です。簡単にいうと正しくて、罪がない状態のことです。聖書は、私たちがイエス・キリストの義(正しさ)をもらうことができると教えています。)

しかし、罪の結果はそこで止まりません。

結果その2:さばき

国の法律を破ると罰があるように、神様の完璧な法律を破ると罰があります。

聖書は罪のさばきがこのようになると教えています:

12     また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。13     海はその中にいる死者を出した。死とよみも、その中にいる死者を出した。彼らはそれぞれ自分の行いに応じてさばかれた。14     それから、死とよみは火の池に投げ込まれた。これが、すなわち火の池が、第二の死である。 15     いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

黙示録 20:12−15(聖書)

私たちは死んで終わるのではありません

罪のある人は、神様の前でさばかれると聖書は教えています。そして、永遠の苦しみの場所(火の池)に投げ込まれると聖書は教えています。

神様は、あなたが今までしてきたことや考えたことを全て知っています。そして、あなたが罪を犯したことを知っています。

聖書によると、あなたも神様の前にたち、さばきをうけ、有罪判決が言い渡されるということになります。そして、炎の池に投げ込まれて、永遠の苦しみを受けます。

しかし、神様は私たちがさばきと苦しみを逃れられる方法を作ってくれました。聖書はこのことを良い知らせを「福音」と呼びます。それは、お金で買えない、徳を積んで得られないで助かる方法です。

【リンク:聖書が教えている「救い」(福音)について】

尾張バプテスト教会ではいろいろなことをしていますが、罪のゆるしを祝う場所でもあります。そして一人でも多くの人がイエス・キリストにある罪のゆるしについて聞いて、経験できるように、行動しています。

神様は素晴らしい罪の赦しを備えてくれました。ぜひ一度はその話を聞きにきてください。

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